LOVE IN THE
AFTERNOON

PART5 


 兄に内緒で、こっそり白テンを持ち出したアンジェリークは、チェロケースにそれを忍ばせ、アリオスのいる”リッツ”へと向かう。
 小さな心は、たくらみでいっぱいだ。
 リッツに着き、彼のいるスウィート14の前で、チェロケースを置き、中から白テンを取り出してそれを羽織ってみる。
 アリオスがどんな反応を示すかと考えるだけで、心の奥底から微笑みが湧きあがってくる。
 アンジェリークは、姿勢を正すとゆっくりとスウィート14のドアをノックした。
 ドアが開かれると同時に、軽快な音楽が流れ始め、アリオスが出迎えてくれた。
「こんにちは」
 精一杯背伸びをし、朝から必死になって練習した、巷で言うところの”艶やかな微笑み”をアリオスに向ける。
 アリオスは、アンジェリークを見て一瞬絶句した。それは、微笑が余りにも艶やかだったからではなく、彼女の格好に驚いてのことだった。
「入れよ」
「うん」
 部屋に入るなり、アンジェリークは、自称”艶やかな微笑み”を楽団員にも向けた。
「なあ、真夏にその格好もどうかと思うが・・・」
「これを着ろってうるさい人がいるもの」
「あっ、そ」
 アリオスは、気のない返事をしたが、内心は気になって仕方がなかった。まるっきり、何も知らない少女のような彼女が、彼と同じ側の人間だとは、にわかに信じがたかった。
「おい、座れよ」
 奪うように言うと、強引にアンジェリークの手を取り、そのまま彼女を強引にソファに座らせた。
「どうしたんだよ? それは」
「頂いたの。貿易商に、どうしてもって言われて」
「へー」
 アリオスは、僅かに眉を上げ、皮肉げに口元を歪ませる。
「物好きもいるんだな。----とにかく、暑苦しいから脱げ!」
 アリオスの表情はかなり険しくなり、苛立たしげにコートを指差した。
「いいわ。脱ぐ」
 意外に素直にアンジェリークがコートを脱いだので、アリオスは内心ほっとした。
 彼女はさっと立ち上がり、近くのハンガーに掛けると、アリオスに微笑みかけながらソファに座った。
「・・・ん・・・」
 座った途端に彼から深い口づけを受け、そのあまりもの官能さに暫し体を震わせた。
 彼の口づけは、優しいけれどもとても深くて、余すことなく彼女の口腔内を探ってゆく。
 そのたびに、彼女は体に甘美な震えを刻む。
 アンジェリークの体の震えを、アリオスが気がつかないはずはなかった。
 言葉とのアンバランスさが、とても彼には新鮮に映り、彼女の唇を奪わずにはいられなかった。
 ようやく、唇が離され、アンジェリークは、白くなった頭を何とか立て直そうと頑張ってみた。
「ジ・・、ジプシーたちはこんなこと見るのは、慣れてるの? 全く驚いていないわ」
「馴れてんだろうよ。最も、そうじゃなきゃ、俺の楽師なんて勤まらねえだろ?」
 喉の奥を鳴らしてクッと笑うと、意地悪な微笑を僅かに浮かべる。
「----俺が、一番キスが上手いだろ?」
 耳元で淫らに囁かれて、アンジェリークは、大きな瞳を何度もぱちくりとさせた。
「----そ、そう思っておいたら?」
 彼女の、純粋で可愛らしい言い訳に、アリオスは、可笑しくて、思わず声を出して笑ってしまった。
「おまえ・・・、ホントに面白いよな」
「皆さん、そう仰るわ」
「へー」
 アリオスは、からかうような視線を彼女に送ると、煽るような微笑を送る。
「----男の人って、 みんな子供だわ」
「へ?」
 年端も行かない穢れのなさそうな彼女から、はすっぱな言葉が聞こえ、アリオスは、一瞬、耳を疑った。
「だって、気を引くためならなんだってするのよ。貿易商は、さっきの白テンでしょ? いくら儲かるからって、そんなことしなくてもいいと思うし・・・」
「何の貿易をしている?」
 アンジェリークの次の言葉を塞ぐように、アリオスは切り込んでくる。
「バナナと香水。バナナ10本に香水1瓶」
「そりゃ、大損だ」
「ち、違ったは、バナナ10ケースだわ」
「それなら判る」
 冷や汗が、一瞬、アンジェリークの背中に伝い、ほんの少しだが、生きた心地がしなかった。
 何とかやり過ごしたと思い、ほっとする。
 しかし、この少し抜けているところが、アリオスを魅了してやまない事を、彼女は知らなかった。
「そうそう、この間は、ベルギーの公爵からはベンツ!! いらないって言ったのにどうしてもと言うから、貰ったけど、お友達にあげたわ」
「----じゃあ、俺からも何か欲しいわけ?」
 アリオスの美眉は僅かに顰められ、その左右の色の違う瞳の奥には、冷たい炎が陽炎になって揺れている。
 アンジェリークは、しまったと思い、頭が白くなってしまい、もう先のことはこれ以上考えられなくなっていた。
 もう素直に出るしかない。
 彼女は、刹那、穏やかで優しい笑顔をアリオスに向けると、静かに首を横に振った。
「----なぜ?」
 息を呑むのは、今度はアリオスの番だった。
「----いらないわ。あなたは、私に楽しい時間をくれる。それだけで充分」
「他の奴らは」
「----さあ・・・?」
 何とかアンジェリークはアリオスを交わしたと思い、ほっとしたのもつかの間、再び奪うように口づけられた。
「・・・う・・・ん」
 彼女は知らなかった。
 彼女の先ほどの一言が、どれほど彼の心に染み込んでいったことかを。
 アンジェリークの栗色の髪に両手が差し入れられ、支えるようにして、アリオスの口づけは深く、そして激しくなっていった。
 ここからは、二人の時間とばかりに、音楽を奏で続けていた楽団員たちは、いつのまにか姿を消していた。  

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 家に帰るなり、アンジェリークを待っていたのは、兄の厳しい視線だった。
「アンジェリーク!」
「な、何、お兄ちゃん」
 白テンを持ち出した後ろめたさが、彼女をびくつかせる。
「クイズや! ここにチェロがあるやろ? そやけどここには白テンがあらへん。さて、白テンはどこに行ったと思う?」
 兄に、迫るような視線を向けられて、アンジェリークはたじろいだ。もちろん罪悪感のためである。
「し、知らないわ・・・」
「もっと頭働かせなー」
 チャーリーは、妹に向かって人差し指を揺らすと、彼女の傍らにあるチェロケースを開けた。
「ここにチェロがあるということは、チェロケースに白テンがあることしか考えられへんよな?」
「・・・ごめんなさい・・・」
 兄に優しく咎められ、アンジェリークはシュンとしてがっくりとうなだれた。
「何でこんなもんもっていったんや?」
「…コンセルバトワールのお友達に見せたかったの…」
 アンジェリークの可愛らしい嘘に、チャーリーは半ば呆れていたが、そのうなだれる姿に怒る気もうせてしまった。
「ま、ええわ。今度からこんなことしーなや。今日、依頼人はんが来て、袖をリフォームせんからくれって言われて、ないもんやから、焦った、焦った」
「…ごめんね…」
「なんや、嫁がスペイン旅行で”アンクレット”ちゅーもんをこうてきたらしくって、それがえらい刺激的で、他の男を誘惑するよーなもんつけるのは、なんや、けしからんてな、やっぱり、愛人にコートはやるらしいわ。ったく、人騒がせな御仁やわ」
 兄がぶつぶつと言っている間、アンジェリークの頭にちょっとしたひらめきが浮かんだ。

 ”刺激的”今度のデートに使ってみたい…!

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 次の日曜日、アリオスとアンジェリークは、郊外の湖へと出かけた。もちろん、楽団員も一緒で、否が応でも二人の雰囲気を盛り上げてくれる。
 前日、アンジェリークは、年上の彼を翻弄するために、兄の事務所の事件簿を読み漁り、準備は整っている。
 二人は、まず、ロマンチックに湖のボートに乗り込んだ。
 初夏の風に髪をなびかせるアンジェリークは、何も知らない”天使”にすら見えるとアリオスは思う。いつもの言動とは正反対の彼女が、そこにはいた。
「そうしてると”純粋・無垢”に見えるぜ?」
「あたりまえよ。そうだもん」
「どーだか?」
 アリオスは、いつものように意地悪そうにクッと笑い、彼女を挑発する。
「このあいだ、あの公爵にレマン湖に連れて行ってもらった時も素敵だったけど、今日のほうが気持ちいいわ」
「レマン湖?」
 一瞬、ボートを漕ぐのをやめ、アリオスはむすっとした拗ねる子供のような表情を浮かべた。
「そう! アルプスにもついでに行ったんだけど、そこのアルペンガイドと恋をしたわ」
「公爵がいるのにか?」
「そうよ!」
「バカか、おまえ」
 呆れたといわんばかりに、アリオスは、大きな溜め息を吐く。手は、いい加減にボートを漕いでいる。
「----だって、すごくロマンチックだったわ。半ズボンから出された脚の膝小僧には、キュートな笑窪があって、かわいかった。お揃いの、エーデルワイスを耳につけたわ」
「----生足…、お揃いのエーデルワイス・・・」
 アンジェリークの、妄想120パーセントな言葉も、いつもの彼なら信じないが、少し気になる相手だったらそうは行かない。
 今まで彼女が語ってきた男たちなら、簡単に勝つ事だって出来るが、生足のアルペンガイドは何だか、手ごわい気がする。
「----で、どーなんだよ」
 益々不機嫌になってゆく彼の顔に、アンジェリークは密かな喜びを感じ、ほくそえんだ。
「別れる時は、泣かれてしまって、辛かったわ…」
 わざと俯いて見せ、そっと足首に付けてきたアンクレットを彼に見せるべく、足首をずらす。
「----何だこれは?」
 案の定アリオスは気づき、綺麗な瞳がわずかに嫉妬の冷たい炎で揺れる。
 アンジェリークは、それを見逃さない。
「----赤毛の闘牛士からプレゼントされたの。情熱的な手紙と一緒に」
「もう、いい!!」
 アリオスは、そのまま彼女に覆い被さると、ボートの上なのにもかかわらず、激しい口づけを彼女に浴びせた。
「・・・ん・・・!!」
 口づけを続けながら、彼の手は、アンジェリークの足を辿り、アンクレットのしてある足へとたどり着く。
「…ン、アリオス・・・」
 アンジェリークの唇からは、切なげな甘いと息が漏れる。
 たとえ服の上からとはいえ、足を撫でられては、アンジェリークは一溜りもなかった。
 アリオスの手は、あっさりとアンクレットを彼女の足首から引きちぎり、湖に投げ捨てた。
「----お仕置きだ…」
「・・・ん・・・、あっ」
 激しい口づけは、奪うように繰り返され、最後は軽く唇に歯を当てられ、痛みの余り、アンジェリークは小さな悲鳴を上げた。
「悪いコだからだ」
「…はれちゃう!」
「いいじゃねーか。これで、俺以外の男とキスできねーだろ?」
 アリオスの言葉に、アンジェリークははっとした。
 初めての、明らかな手ごたえ。
 嬉しくて小躍りしたい衝動を何とか抑え、にこりと彼に微笑むと、強請るように見つめる。
「じゃあ、その唇で、私の傷を癒して?」
 答えの変わりに、アリオスのこの上なく優しい唇が降りてきた。
 さわやかな、午後のひと時にこのまま酔ってしまいたいと思いながら、アンジェリークは彼の唇を感じていた---- 


コメント
「小悪魔・アンジェリーク編・前編」です。一生懸命、アリオスを翻弄しようとする彼女が皆様に伝われば幸いです。
次回「小悪魔アンジェリーク・後編」別名「アリオス受難編」です。
もう少しで完結しますので、最後までお付き合いくださいませ。